現状と今後について(現状vol3:待っていた公務員の悪しき風習と私が半年ちょっと仕事をして感じた事)

皆さん、こんばんは。
meanderingmanです。
まずは、自分で公言していたにも関わらず、「2日に1度は投稿する」というルールを守らなかったこと、本当に恥ずかしく思います。

今後、またルールを破るようなことがあった際は、今後一切のブログ投稿を禁止します。

 ※今回は本来よりも投稿の期間が空いたため、勝手ながら長文の投稿となっております。

さて、入庁1年目にも関わらず希望に近い部署に配属され、かなりやる気に満ち溢れていた私でしたが、そんな私のやる気は入庁2週間~1月後には無残にも打ち崩されました。それは、

 

「新人が捌くには非常に困難な仕事量」

「仕事のやりづらい環境」

 

によってでした。

 

まず、「仕事量」について。私の自治体では、多くの職員がここ数年偶々重なって産休や育休を取得したことにより、人員不足の状態にありました。育休や産休を取得する職員が出ると、当然のことながら、その方々の仕事を残った職員で分担して行う必要があり、各自受け持つ仕事量が通常に比べ増えます(※育休・産休を取得する方々を悪く言ったり、責めたりする気持ちは全くありません)。もちろん、休職中の正職員の席には臨時職員を雇い補っていましたが、重要度の高い仕事やPC内のシステム上の関係により、正職員にしか触れることができない仕事があり、重要度高の仕事は私たち正職員が処理しなければなりませんでした。

また、私の前任の方は県から派遣された職員であり、かつその方は今年度県に戻ってからは人事課に配属されたらしく、どうやら仕事のできる方のようでした。そして、その方が担当していた仕事がほぼそのまま横流し的に私の担当となったのですが、社会人経験が皆無で本当にまっさらな新人の私にとっては到底処理しきれない仕事量でした。

次に「仕事のやりづらい環境」についてですが、これは細かく3つの要素に分けられます。まず1つ目は「上司のコミュニケーション」です。私が所属する担当には直属の上司が二人いるのですが、2人とも非常に気を遣う必要のある方で、分からない点があって質問をするのにも常に顔色を窺う必要があり、質問することを躊躇してしまい、聞こうと思う度に胃がキリキリしていました(笑)また、ミスをした時に笑われたり、分からないことを聞いたとき、人を見下したり小馬鹿にするような口調をされたりすることが一定のスパンであり、その度に頭に血が上り、思考が停止してしまい、仕事の手が止まってしまうなど、支障が出てしまうことが何度かありました。

2つ目の要素ですが、公務員には「偏見を持っている人が多数いる」ということです。もちろん公務員に限らず民間で働く方の中にも偏見を持つ人はいると思いますが、恐らく公務員になった方には敷かれたレールの上を淡々と通ってきたのみで、他人を尊重する・思いやるコミュニケーションができておらず、これを言ったら相手はどう思うのか、自分が言われたらどんな気持ちになるのかといった、”初歩的なコミュニケーション”を身に着けていない方がかなり多いように思います。なぜそう思うのか。私はある時期以降、自分のことに関してはオープンでいるのですが、私が高校時代に不登校になり高校を中退(2度)した過去を同期に話した際に「高校を辞めた奴なんて人格に問題がある奴しかいないでしょ(笑)」と笑いながら言われたり、特異なものを見るように見られたりしました。また、上司においても、うつ病で休職に入る先生が多いことにより自分の仕事量が増えることに対して、「休むなら辞めればいいのに」などといった決して人として口にすべきでないことを平気で言う方もいます(もちろんこれだけではありません)。これに関して私は、行政という仕事が人々の生活をより良くするという”一種のサービス業”であるとはいえ、飲食店やブライダル業界などの”いわゆる”サービス業と比べて、性質的に”間接的”(つまりは直接お客様と接する機会が少ないため、相手の立場になって考えることが難しいということを言いたいです)であることに因るところも大きいのではないでしょうか。

そして3つ目の要素ですが、基本的に年功序列、上司絶対主義の色が民間と比較して未だかなり強く、新人や入庁年度の若い者の扱い方が雑である、新人に対して”失礼である”ということです。よく新人や入庁年度の浅いものは仕事に加えて雑用を当然こなし、上司が退社するまで部下は帰ってはいけない、などという風習がありますが、これは基本的に上司に比べて任されている仕事量も少なく、比較的余裕がある新人等の場合のみ当てはまるのではないでしょうか。私もそうでしたが、仕事量が多く、全く余裕のない新人が余裕のある新人と同じ扱いを受けなければならないのでしょうか。私はこの点にも非常に疑問に思い、怒りさえ感じます。そもそも仕事とは、チームでやるものではないのでしょうか。私は社会人になってまだ1年も経っておりませんが、もしこの点において私の言っていることが違うという方がいらっしゃいましたら、ぜひご意見お聞きしたいものです。新人や若手は上司や組織の道具や奴隷であるべきなのでしょうか。私は、彼らも上司と同じく尊重されるべき一人一人の人間であり、公平に向き合われるべき個人たちだと強く思います。もちろん仕事の知識・経験は上司の方があるので、私たち新人が彼ら上司に教えを乞う立場であるということは承知ですが、それとこれとは別です。

大分話が長くなっておりますが、誤解をされる方もいらっしゃるかもしれませんが、私は決して仕事のできる方が多くの仕事を背負えばいいとは全く考えていません。それは、仕事ができる方に仕事ができない人の分の仕事量がいってしまうと、今度はその仕事を捌ける方が潰れかねないからです。ですが、基本的に上司は仕事を捌く要領等新人に比べて経験があり、余裕もあると思うので、新人が処理しきれそうにない時は雑用等協力しても良いのではないかと。採用までの過程で散々部活動での自分の役割、チームへの貢献等聞いてきたと思いますが、社会人になったら下の者が上の者に尽くすことのみがチームワークとなるのですか?チームワークって、そのチームに属するメンバー同士が相互に助け合って目標に向かっていくものではないのですか??

 

全体の奉仕者である公務員がこのような人たちの集まりで良いんでしょうか?

仕事ができさえすれば他はどうだっていいんですか??